サプライチェーンにおける人権・環境デューデリジェンス:リスク特定から是正までの実践ガイド
はじめに
グローバル化が進展し、企業のサプライチェーンが複雑化・広範化するにつれて、そのサプライチェーンにおける人権侵害や環境破壊への企業の責任が強く問われるようになっています。消費者や投資家、NGOなどのステークホルダーからの期待に加え、近年では各国・地域で人権・環境デューデリジェンスに関する法律や規制が制定・強化される動きが進んでいます。
こうした背景から、企業にとってサプライチェーン全体における人権・環境デューデリジェンスの実践は、単なるリスク管理を超え、事業継続性、企業価値向上、レジリエンス強化のための不可欠な要素となっています。本稿では、サプライチェーンにおける人権・環境デューデリジェンスの基本的な考え方から、具体的な実践ステップ、そして最新の規制動向について解説します。
人権・環境デューデリジェンスとは
人権・環境デューデリジェンスとは、企業活動(自社の事業活動、製品・サービス、サプライチェーン)が人権および環境に与える潜在的・実際の影響を特定、防止、軽減し、引き起こしたまたは貢献した影響に対して対処(是正)するための継続的なプロセスです。これは、国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」やOECDの「責任ある企業行動のためのデュー・ディリジェンス・ガイダンス」といった国際的な枠組みで提唱されている概念です。
特にサプライチェーンにおいては、直接的な取引先だけでなく、その先のサプライヤー、さらには原料調達に至るまで、広範な範囲を対象とする必要があります。これは、人権や環境への負の影響が、しばしば川上のサプライヤーや下請け企業で発生する傾向があるためです。
サプライチェーンにおける人権・環境デューデリジェンスの実践ステップ
サプライチェーンにおける人権・環境デューデリジェンスは、以下の継続的なステップを通じて実行されます。
1. リスク特定と評価
まず、自社のサプライチェーン全体を可視化し、人権および環境に関する潜在的・実際のリスクが高い領域や取引先を特定します。これには以下のような活動が含まれます。
- サプライチェーンのマッピング: 製品・サービスのライフサイクル全体を考慮し、主要なサプライヤーや調達先の地理的位置、ビジネス特性などを把握します。
- リスクアセスメント: 特定された領域や取引先において、どのような人権リスク(強制労働、児童労働、差別の禁止、労働安全衛生など)や環境リスク(森林破壊、水質汚染、生物多様性の損失、排出ガスなど)が存在しうるかを評価します。既存のサステナビリティ評価ツールや専門家によるリスク分析などが活用されます。
- ステークホルダーとの協議: サプライヤー、従業員、地域社会、NGOなど、影響を受ける可能性のあるステークホルダーとの対話を通じて、現場の実態や懸念事項に関する情報を収集します。
2. リスクの防止・軽減策の実施
特定されたリスクに対し、その発生を防止または影響を軽減するための措置を講じます。
- 方針・規程の策定と浸透: 人権尊重や環境保護に関する明確な方針(例えば、人権方針、環境方針)を策定し、サプライヤー行動規範などに落とし込み、サプライヤーに周知徹底します。
- 契約条項への反映: サプライヤーとの契約に、人権・環境保護に関する条項や、監査・モニタリングへの協力義務などを盛り込みます。
- キャパシティビルディング: サプライヤーが自らの事業活動における人権・環境リスクを管理できるよう、トレーニングや技術支援を提供します。
- 是正計画の策定: 実際の影響が発見された場合、サプライヤーと協力して具体的な是正計画を策定・実行します。
3. 影響の是正
企業が人権または環境に負の影響を「引き起こした」、あるいは「貢献した」ことが判明した場合、適切な手段を通じてその影響を是正する責任を果たします。
- 苦情処理メカニズム: 影響を受けた個人やコミュニティが懸念を表明できる効果的なメカニズム(苦情窓口、ホットラインなど)を整備し、アクセス可能な状態にします。
- 適切な是正措置: 苦情や発見された問題に対し、被害者への救済や、再発防止策の実施など、適切な是正措置を講じます。
4. モニタリングと評価
防止・軽減策および是正措置が効果的に機能しているかを継続的にモニタリングし、評価します。
- パフォーマンス指標(KPI)の設定: デューデリジェンスプロセスの進捗や効果を測定するためのKPIを設定します。
- 監査・評価: サプライヤーに対する自己評価、書面調査、現地監査(内部監査または第三者による監査)を実施し、方針遵守状況やリスク管理の実態を確認します。
- 継続的改善: モニタリング結果に基づき、デューデリジェンスのプロセスやリスク管理体制を定期的に見直して改善します。
5. 報告とコミュニケーション
デューデリジェンスへの取り組み、特定された主要なリスク、講じた措置、およびその効果について、関連するステークホルダーに対し報告し、コミュニケーションを行います。
- 情報開示: サステナビリティ報告書やウェブサイトなどを通じて、デューデリジェンスのプロセスと成果について透明性のある情報開示を行います。GRI、SASB、CDPなどの既存の報告フレームワークを活用するほか、特定のデューデリジェンス報告フレームワーク(例えば、OECDのガイダンスに基づくもの)に従うこともあります。
- エンゲージメント: 投資家、顧客、NGOなど、主要なステークホルダーとの対話を通じて、フィードバックを得て取り組みをさらに改善します。
最新規制動向への対応
近年、人権・環境デューデリジェンスに関する法規制が世界的に増加しています。特に注目されるのが、欧州連合(EU)で検討が進む「企業サステナビリティ・デューデリジェンス指令(CSDDD)」です。この指令は、一定規模以上の企業に対し、自社およびサプライチェーンにおける人権・環境への負の影響を特定、防止、軽減、是正し、報告することを義務付けるものです。
CSDDDのような規制への対応は、企業にとってデューデリジェンスへの取り組みを強化する強力なドライバーとなります。対象企業は、自社のデューデリジェンスプロセスが規制要件を満たしているかを確認し、必要に応じて体制整備やプロセスの改善を進める必要があります。また、間接的にサプライヤーとして規制対象企業のサプライチェーンに組み込まれる企業も、取引継続のためにデューデリジェンスへの取り組みを強化する必要があります。
まとめ
サプライチェーンにおける人権・環境デューデリジェンスは、複雑な課題を伴いますが、企業が責任ある事業活動を展開し、持続可能な成長を実現するために不可欠な取り組みです。リスクの特定から始まり、防止・軽減策の実施、影響の是正、モニタリング、報告という一連のプロセスを継続的に実行することが重要です。また、CSDDDのような最新の規制動向を常に把握し、法的な要請にも適切に対応していくことが求められます。この取り組みは、企業のリスク管理能力を高めるだけでなく、ブランドイメージ向上、投資家からの評価向上、そしてよりレジリエントなサプライチェーンの構築につながります。